感想を書くためのパピルス

感想や解釈や考察を書いています。ネタバレあり

セッション 考察

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期待→落胆→不意打ちというパターン

 最初のシーン、フレッチャーがニーマンの練習を見に来ます。ニーマンは、自分の演奏に光るものがあったから、フレッチャーがここに来た、今後の展開次第では、フレッチャーのバンドに入れてもらえるかもしれないと期待します。

 

 フレッチャーは、いくつか指示を出し、レッスンみたいなことを始めますが、突然練習室を出て行ってしまいます。フレッチャーのお眼鏡にはかなわなかったと落胆していると、急にフレッチャーが戻ってきます。やっぱり何か言い忘れてたんだ、俺は見込みがあるんだろ、とニーマンの中で期待が膨らみ始めた瞬間、フレッチャーは言います。

 

「おっと、上着を忘れた」

 

 このように、期待させておいてそっちかいというシーンが多かったです。その裏切りが面白さを生んでいます。以下、フレッチャーがこの「期待→落胆→不意打ち」のパターンを使っているシーンを列挙。

 

・バンドの練習中にフレッチャー来訪(ニーマンにとっては二度目のチャンス)

→演奏を聞いて「ドラムス来い」と言う。

→主奏者(ニーマンじゃない奴)行こうとする。

→Not.(私が呼んだのは)後ろの方(ニーマン)だ。

 

・練習中、音程のずれてる奴がいるとキレるフレッチャ

→一人一人チェック

→見つけた。お前だ。出て行け。

→出て行った奴の音程は実は合ってた。

→音程があっていないのはお前だ、自覚しろ。

 

・タナー。主奏者と替われ

→ニーマンが主奏者ということ

→別のドラマー見つけてきたぜ

→お前(ニーマン)はあくまで臨時の主奏者。今からどっちが上手いか比べるよ。

 

音楽学院クビになった。今度、フェスティバルやるんだけど、よかったら出てくれない? やっぱお前(ニーマン)のドラム良いわ。

→当日。お前が密告したんだろ、知ってるぞ。

→復讐してやる。ってことでお前の練習してない曲やりまーす。

 

フレッチャーの流儀とは?

 一言でいうと才能至上主義です。良い演奏のためなら何でもするという言い方もできます。

 

 フレッチャーは言います。

「次のチャーリーは何があっても挫折しない」と。

 

(チャーリーはすごい演奏者の名前です)

 

才能のある人を育てたい。才能のある人は絶対に挫折しないのだから、スパルタもオッケーだし、暴言も吐くし、暴力もふるうし、罠にもはめる。厳しい指導を受けてもなお努力を続け、技術を向上させることのできる奴だけが舞台に出て、よい演奏をすればいい。 

 

フレッチャーが教え子ショーン・ケイシーの死を悼み悲しむのは、彼が才能のある演奏者だったからです。

 

ニーマンがひどい演奏をすれば、ドラムを蹴散らしますが、よい演奏しているときは、サスペンドシンバルが倒れそうになれば、立て直したりして演奏を続けられるよう手伝います。それがフレッチャーという男なんです。

 

演奏の主導権を争っていた二人が最後には

序盤も中盤も、フレッチャーはテンポが違うとニーマンに言います。早い、遅いとダメ出しを繰り返します。

 

一方で、終盤のフェスティバルでは、ニーマンが勝手に演奏を始め、他の奏者や指揮者であるフレッチャーに向かって合図をだします。このとき、曲のテンポを決めているのは指揮者ではなく、ドラム(ニーマン)なのです。

 

そして最後には、主導権を取り合っていたニーマンとフレッチャーが、息を合わせて曲を終わらせます。おそらくこの瞬間だけは、二人はお互いのことを理解できたのではないでしょうか。

 

この記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。