感想を書くためのパピルス

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英国王のスピーチ 考察

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タバコを吸う=〇〇がない

スピーチがうまくないジョージ6世は色々な医者を呼び、吃音症を治そうとします。ある医者は、タバコを吸うように言いました。タバコは神経を静め自信を与えてくれる、と。

 

この後もタバコを吸うシーンがいくつか出てきます。以下列挙。

 

・ローグに会い、初診を受けている最中

・父が死にそうなときに恋人に電話する兄を待っているとき

・父が死んだ直後

・ローグと喧嘩した直後

・兄エドワード8世による退位のスピーチを聞いているとき

(このスピーチの直前にエドワード8世もタバコを吸っています)

 

こうして見るとマイナスの出来事が多いですね。緊張やストレスにさらされているとき、タバコを吸っています。それは自信の無さを補うためでしょう。

 

結論。タバコを吸っているとき、そのキャラクターは自信の無い状態にある。(あくまでこの映画の中では、自信の無さを表す小道具としてタバコが使われているということです。現実の世界でもこの理論が当てはまるかは、タバコに詳しくないので、分かりません)

 

1シリングを持ち歩かないのはなぜか?

初診のとき、ジョージ6世はローグとある賭けをします。金銭1シリングを賭けました。

 

1ポンド=20シリング=240ペンスだったらしいです。現在、イギリスでは、シリングは使われていません。

 

ジョージ6世は言います。

「金は持ち歩かん」と。

 

最初は、王族だからかな、と思ったのですが、後半まで見ると、なぜ持ち歩かないのか、理由や意味が見えてきます。

 

ローグとの会話の中で、こんなやり取りがあります。

ローグ「父上はもういない」

ジョージ6世「1シリング銀貨に顔が」

 

ジョージ6世にとって上手くスピーチのできる父は、理想であり、自分の欠点を浮かび上がらせる光でもあったのです。もし自分も王になったら、あんなふうにスピーチをしなくてはいけない。だから1シリング銀貨が必要以上に重たく感じられる。だから持ち歩いていなかったんです。

 

対等な関係になっていく過程が丁寧

ジョージ6世は幼いころから、周りの王族でない人たちから敬われ、上に見られてきたわけです。敬意はプレッシャーを与えます。自分は敬意を払われているのだから、皆の期待や評価に見合った立派な人間でなくてはならないと思うんです。

 

一方、ローグは最初からあくまで対等であろうとします。特別扱いはしません。以下列挙。

 

・診察を受けに来てもらう(他の患者と同様に)

ジョージ6世のことをバーティーと愛称で呼ぼうとする

・自分のことはドクターではなく、ライオネルと名前で呼ばせようとする

・賭けで負けた分のお金はちゃんと払ってもらう

・タバコを吸おうとしたら、咎め

 

二人は徐々に親しくなっていきます。その変化が見て取れるのは、ジョージ6世がローグのもとを訪れ、亡くなった父のことを話すシーンです。ローグが何か飲み物を出そうとします。

 

ローグ「ホットミルクでも」

ジョージ6世「いや、ローグ。もっと強いものを」

 

そして二人でビールを飲みます。

初診のときは、「何かお茶でも」と言われても、「けっこう」と断っていたのにです。

こうやって親しくなっていく過程を丁寧に描いているから、ラストの一文が説得力を持って見ている人の心に響くんだと思います。

 

ジョージ6世とヒトラー

対照的に描かれています。

 

ジョージ6世:吃音症のため、スピーチが苦手

ヒトラー:演説が上手い

 

これだけではありません。権力と人気に焦点を当ててみましょう。

 

ジョージ6世:即位と共に権力を手にする。その後、スピーチなどで国民に語りかけることによって、支持や人気を得ていく。

 

ヒトラー:演説の力でもって、大衆からの人気と支持を得る。その結果、大きな権力を手にする。

 

権力が先か、人気が先って話ですね。

 

なぜ最後のスピーチがうまくいったのか

吃音症の原因は、ジョージ6世の生い立ちにあります。

 

①左利きだったのに右利きに矯正

②X脚の矯正

③乳母から虐待を受ける

てんかん持ちの弟は世間から隠されていた

 

①と②の矯正には、今の状態は間違っているという認識が前提にあります。左利きやX脚が悪いわけではないのに、右利きやまっすぐな足が正しいとされ、その価値観を押し付けられました。

 

③の乳母のお気に入りは、兄のエドワード8世だったと言います。このことは、ジョージ6世に、人から好かれないとひどいことになる、という恐怖心を植え付けます。

 

④は世間の目を気にしてのことです。いい印象を与えないから隠したのです。ジョージ6世は、世間にいい印象を与える人間にならなければいけないと思い込んでしまい、それがプレッシャーとなります。

 

王族はかくあらねばならない。欠陥があってはならない。そういう正しい王族像が彼を苦しめます。結果、王族や王の立場と言ったものを必要以上に重くとらえるようになってしまいました。そのことは以下の2つのシーンから分かります。

 

・王位継承評議会のとき、歴代の王の肖像画をアップで映す

戴冠式の準備の差異、王の椅子に座ったローグに怒りをぶつける

 

王は正しくあらねばならない。そのプレッシャーにいつも押しつぶされそうだったのです。

 

終盤のスピーチがうまくいったのは、目の前にローグがいたからです。対等な友人の前では、背伸びして立派な人間になる必要がないのです。王という立場にかかるプレッシャーが軽減され、何とかスピーチをこなすことができたというわけです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。